開発ブログ

第 8 回

東洋と西洋が出会うとき

ローカライズディレクター ジャネット・スー

みなさん、こんにちは!『大逆転裁判1&2 ―成歩堂龍ノ介の冒險と覺悟―』のローカライズディレクターのジャネット・スーです。発売から3週間ほどたちましたが、いかがでしょうか?初プレイの方も、そろそろ“1回目”のクリアをむかえる頃だと思いますので、開発ブログのひとまずの最終回として、今作の大事な舞台背景となった「明治時代」や「夏目漱石」、「ミステリーというジャンル」について少し語りたいと思います。ネタバレは抑えていますが、小さなネタバレでも気になる方は是非クリアした後に読んでください~!
※今回は日本やイギリスの歴史について語らせていただきましたが、私が勉強して学んだことをベースに書いていますので、もしかしたら誤りもあるかもしれません。そういった点にご理解・ご容赦いただけるとうれしいです。

皆さまにはご承知いただけているかと思っていますが、『大逆転裁判』シリーズは“フィクション”ですので実際の出来事とは違うところもいっぱいあります。例えば、現実世界の「日英通商航海条約」と「日英和親条約」がゲーム内では「日英和親航海条約」となっていた時点でそういった側面にお気付きになられましたよね? ‥‥さて、それでは明治時代のことを少し振り返ってみましょうか!(なんか、学校みたいだね‥‥)

江戸時代から明治時代に変わるきっかけは、「黒船来航」と「明治維新」という、国内外の大きな2つの出来事と言われることが多いです。当時の人たちも、鎖国のせいで日本と欧米とでは技術や科学の差がとっても広がっていることに気付き、大きな危機感を感じたのではないでしょうか。そして、ペリーが黒船でやって来た時にとてつもない衝撃をうけ、変化を促すことになっていったのでしょうね。

鎖国はこの家康のせいじゃないですよ! ※『戦国BASARA』シリーズの徳川家康

私たち現代人にとって明治時代は、社会が大きく変化し、“近代化”していった時代です。政治面だけではなく、司法の仕組みや考え方も欧米型にシフトしていきました。龍ノ介のセリフに“辻斬り”という言葉が出てきますが、明治以前の法律は各地の大名がそれぞれ発令していたり、“切捨御免”という特権が武士には認められていたりもしていました。

明治時代の政府が、日本をより早く近代化したかった理由の1つは、国の立場を引き上げて、諸外国から無理やり認めさせられていた不平等な条約を破棄するか、もしくは再交渉するためだったと言われています。『大逆転裁判』の日本政府も、時間をかけて用意した新たな条約をやっと結んだところでしたね。(再交渉されたものなのかどうかは自由に想像してください)そして、亜双義と亜内の会話に出てくるように、当時の人も国際的な対応については様々な意見があって、ぶつかり合うようなことも多かったのでしょう。どんどん変わっていく時代につきものの困難の一つですね。

もちろん、近代化を進めていたのは政治面だけではありません。女性の教育も大きく変わりました。明治時代まで、義務教育は男女平等ではありませんでした。日本政府は改善していくつもりだったようですが、女性に対して平等なチャンスはなかなか与えられませんでした。特に大学に関しては、当時すべての大学は男性向けでしたし、大学が誕生した約50年後にようやく初の女子大学ができたという状況でした。そして、そこから更に数十年後に、やっと多くの大学が男女共学となりました。
寿沙都と葉織のゲーム内での事情は現実と同じわけではないけれど、こういう時代背景を考えてみたら、彼女たちはすごく偉いなぁと思います。あそこまで博学だったのは、家庭教師がいたとか、少なくとも寿沙都はお父さんや亜双義からいろいろ学んでいたのはきっと間違いないでしょうね。

女子教育といえば、大きな存在である津田梅子を思い出しますね。岩倉使節団の最年少メンバーだった彼女は、帰国してから日本の女子教育レベルを自分が通ったアメリカの学校の基準まで上げるために大変尽力しました。日本における女子教育の先駆者と評されている津田さんは、1900年に日本初の女子高等教育機関「女子英學塾」(現在の津田塾大学)を設立しました。彼女の人生は本当に興味深いので、ぜひ調べてみてください。
ちなみに、2024年から津田さんは5000円札に起用されるそうですよ。

2024年にお会いしましょうー!

日本の服装も明治時代に大きく変わりました。上流階級の男性やとある職業の方々はすぐに洋服を取り入れたようですが、女性や一般市民は和服のままのほうが多かったそうです。「大逆転2」の1話に出てくる漱石や龍ノ介と寿沙都のように、和服と洋服が混在しているスタイルもあったようですね。

科学的な側面でいうと、欧米では新しい発見・発明が次々となされていました。その一つは「大逆転2」に少しだけ登場した“細菌(学)”です。ニンテンドー3DS版を開発していた数年前はこの話題に対して特別な感情はなかったけれど、今作のローカライズ業務の途中からコロナ禍が起こり、イギリスの翻訳者さんと“マスク”や“石鹸”についての翻訳を議論している時に、ある種の怖さや不気味さを感じました。ゲーム内のキャラクターたちが菌という“新しい概念”を語らっていたことに、自然の法則の不変性や文化の進歩などについてちょっと考えさせられましたね。

明治時代とヴィクトリア朝時代には文学や言葉の変化もありました。例えば日本語の場合だと、欧米の言葉を翻訳する中で、sheの翻訳語として“彼女”という新しい単語が生まれ、明治時代まで男女の区別なく使われていた“彼”という単語をheの翻訳語にあてました。それは現代の日本語でもそのまま使われています。また“着物”の意味も、“普通の服”という意味から変わって、“洋服”に対しての“和服”という意味合いが生まれたりしました。生活におけるすべてのものごとに対して新たな単語を覚えなきゃいけなかったので、現代の私たちより当時の人は大変だったでしょうね。

そして、欧米の言葉と文学は後の日本にも大きな影響を与えるものを持ってきました。その一つが“シェイクスピア”です。

本物のシェイクスピアのことだよ!このペテンシーめ‥‥

‥‥で
ニックネームを与えられるほど日本人からも愛されたシェイクスピアは、当時“沙翁”と呼ばれたそうです。現代の人にとってあまり聞きなじみのない名前だと思うけど‥‥それは『大逆転裁判』をプレイするまでの話ですよね!

「沙翁」に似ている「紗翁」を気に入ってなさそうなホームズさん。失礼だけどね‥‥

だけど、漱石のエピソードにシェイクスピア的なキャラクターが登場したことは偶然ではありません。なぜなら、リアル漱石さんはシェイクスピアからインスピレーションを受け、そしてライバルの一人とも考えていたそうです!夏目漱石専門家とも言えるぐらい漱石さんに詳しい作家のダミアン・フラナガン氏によると、漱石さんは半分冗談(?)で友人の森田草平に「ハムレットを超える作品を書きたい」と手紙に書いていたようです。そして、英語研究ではなく英文学研究をしていたロンドン留学中の漱石さんは、ベーカー街の近くに住んでいた当時のシェイクスピア専門家のトップであるウィリアム・クレイグ氏の元で勉強したそうです。シェイクスピアは現代のアニメや漫画、そして黒澤 明監督にも影響を与えています。

そして、海外からも「日本におけるシェイクスピアの一人は夏目漱石」と言われています。彼が書いた“文学論”などは今でもとっても興味深いし、人はなぜ本を読むのか?などの課題を当時の最先端の社会学と心理学で考えていました。しかし、文部省への報告書は白紙のままで本国へ送り、“文学論” 序の末尾にも『倫敦に住み暮らしたる二年は尤も不愉快の二年なり。余は英国紳士の間にあつて狼群に伍する一匹のむく犬の如く、あはれなる生活を営みたり。』と書いてあるように、大変な留学生活を過ごしていたみたいですね。

『大逆転裁判1』の3DS版を制作しているときに、巧ディレクターは私に各話の英語タイトル名を一緒に考えて欲しいと相談してくれました。漱石が登場するエピソードのタイトル名に「吾輩」を使うだけで、漱石感を感じていましたが、英語の場合、「吾輩は猫である」は単純に「I Am a Cat」になるので非常に悩みました。何とか漱石の存在を英語タイトル名にもつけたかったことと、リアル漱石さんの生活もちょっと暗かったことから「Clouded Kokoro」(「曇っているこゝろ」、『こゝろ』は“明治時代の伝統と現代の日本”をテーマにした、とっても感動的な漱石さんの小説の1つです)を提案してみました。最初は『こゝろ』の内容を連想させると、リアル漱石さんのうつ的なところに注目されてしまうのでは?と懸念した巧さんでしたが、ゲーム内の漱石は全然違うし、「大逆転1」の4話と「大逆転2」の2話の様々なキャラクターとテーマをふまえた上で考えると、わりとマッチしているタイトルだなと思い直し、「Clouded Kokoro」がそのまま採用されました。

ちなみに、『大逆転裁判』での漱石とホームズの出会いが世界的な初対面ではありません。日本作家が書いたホームズパスティーシュ(模倣作)の中で、漱石さんと対面する2つの有名な小説があります。
・山田 風太郎の『黄色い下宿人』(1953年)
・島田 荘司の『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』(1984年)(実は、漫画として連載中!)
『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』の特徴といえば、ストーリーの内容はワトソンと漱石の二人の目線から書いているので、お互いのホームズの見方が真逆であるところが面白いです。だけど、そもそもなぜ夏目漱石がわりと容易くフィクションのキャラクターとして落とし込めてしまえるのでしょうか?それは、漱石さんご自身が自分を主人公として、ロンドンで過ごした日々を語らう『倫敦塔』などのショートストーリーに登場させたりしているからだと思っています。

もちろん、『大逆転裁判』に出てくる文学的なオマージュはホームズと漱石だけではありません。“ミステリー”というジャンルはヴィクトリア朝から人気になってジャンルとして成立しました。ヴィクトリア朝より前にミステリーのお話がなかったというわけではないけど、この時代から欧米で警察組織や刑事という形が正式に始まり、大々的に取り上げられる犯罪の話に市民も興奮し、新聞で読んでいるような恐ろしい難事件の物語を求めたのだと考えられます。当時の人にとって、難事件を解決する探偵や刑事はスーパーヒーローだったのかもしれないね。ジャンルに対する愛情の形として、巧ディレクターはヴィクトリア朝と“探偵ミステリー全盛期”と呼ばれている1920年~1930年代の名作へのオマージュもあっちこっち『大逆転裁判』に入れこみました。
以下がそのすべてではないけど:
・『オッターモール氏の手』(“The Hands of Mr Ottermole”)
・ルコック探偵(Monsieur Lecoq)と彼を作った作家エミール・ガボリオ(Émile Gaboriau)
・ジョン・イヴリン・ソーンダイク(Dr John Evelyn Thorndyke)
・ソーラー・ポンズ(Solar Pons)シリーズ
・黒後家蜘蛛の会(ブラックウィドワーズ/the Black Widowers)と彼らの“比べるもののない”給仕ヘンリー・ジャクソン(Henry Jackson)
・当時のホームズのライバルでもある『隅の老人』(“The Old Man in the Corner”)を書いたバロネス・オルツィ(Baroness Emma Orczy)

そして、個人的に一番好きなオマージュは巧 舟の『ゴーストトリック』です!
あとの残りはぜひ探して、楽しんでくださいー!

最後に、番外編の6話にもリアル漱石さんのライバルだった森鴎外も登場しましたが、実は、マーク・トウェイン氏も少しだけ顔を出しました。彼の自転車に関する大冒険は、残念ながら“Taming The Bicycle”の完全和訳がネット上には存在していないようです(昔の教科書に載ってたらしい‥‥)。しかし、アイリスと寿沙都はよく読みましたね。

『自転車を手に入れましょう。 あなたは後悔することはありません。生きているなら。』
– マーク・トウェイン氏

明治時代とヴィクトリア朝は両国にとって、とっても大きな変化を生み出し、その変化は多くの市民にとって困難も与えた時代でした。日本の場合は様々なものごとが欧米に近づいていく反面、 “日本人”とは何なのか?“伝統”はどこまで守るべきなのか?という大きな課題にも直面しました。産業革命が拡大していた英国も、多くの人が田舎から都会に引っ越したことによる過密な住環境や、危険な石炭鉱業などの過酷な仕事環境によって、日々の生活に多大な影響が生じていました。どの時代であっても人々は変わりなく様々な悩みを抱えて生きるわけで、激動の明治時代の作品の中には私たちに響く何かがあるのではないでしょうか。それは現代でも当てはまると思います。なぜなら、私たちは今“第4次産業革命”の最中と言われています。情報通信やインターネットは社会に多大な影響を与え続け、ありえないほど速く変化し続ける状況の中で暮らしている私たちは、あの頃とちょっと似た課題に立ち向かっているとも言えるのではないでしょうか。明治時代とヴィクトリア朝の作品を読むと「悩むのはいつの時代もみんな同じだね」と思うので不思議と安心します。

開発ブログはひとまずここで閉じますが、いかがでしたしょうか!?楽しんでいただけたのならうれしい限りです。最後に、プロデューサー、ディレクター、翻訳者、収録スタジオ、そして、開発チームのみんな、「ありがとう!!!」
そしてもちろん、

シリーズを愛し、応援してくれているファンのあなた、
大変感謝しています!!!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!お元気でね!
それではまた会う日までー!